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山王祭(東京日枝神社)と日本橋再開発にみる江戸時代の繁栄と復活

花山車2
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江戸時代から400年続く山王祭(東京日枝神社)の二年に一度の祭礼行列(神幸祭)が東京都心の国立劇場、丸の内、日本橋、銀座を練り歩き

2018年6月8日に江戸時代から400年も続く東京日枝神社の神幸祭が行われ、氏子地域内の麹町、四谷、国立劇場、坂下門、丸ビル、日本橋、京橋、銀座、新橋、東京宝塚劇場前、首相官邸と御列が練り歩きをなされました。

仲通り

神幸祭は、氏神様が地域内の氏子たちの安否を気遣って、その暮らしぶりを見て回るというもの。

日枝神社2

当日は、ちょうど仕事で丸の内近辺にいたことから、東京駅から皇居をつなぐ行幸通りから丸の内のあたりで御列をみることができました。

オランダのアムステルダム駅をまねて作られたとされる東京駅の赤レンガの丸の内口に、神輿や山車、平安絵巻の様な衣装をまとった隊列が重なる二年に一度しか見られない特別な景観。近代的なビルが立ち並び多び、普段通りに多くの車やビジネスマンが行きかう中、一方で、同じ車道の片側を400年前から続く御列が厳かに交錯していくという、なんともいえない不思議な光景でもありました。

山王祭に見る日本橋界隈の賑わいと日本橋再開発の取り組み

高島屋再開発

丸の内や霞が関界隈、そして大江戸の商人・町人の中心であった日本橋界隈は、今でも江戸時代から続く老舗のお店が多く残っており伝統が息づく地域。

当時の江戸幕府が近かった今回の山王祭の際も、一時期は担ぎ手が減り活気が失われていたそうですが、多くの方々のご尽力により2002年から「下町連合渡御(したまちれんごうとぎょ)」(日本橋、京橋、八丁堀、茅場町)という日本橋を中心とした神輿の祭りを開始。今年も連日の賑わいを見せておりました。

山王祭(東京日枝神社)2018の動画

日銀や日本橋三越の界隈は、数年前の三井の大規模再開発で既に普段から大人の町として多くの賑わいがあります。一方、だいぶ静かになっていた日本橋高島屋の界隈ですが、現在大規模な日本橋再開発が進行中。

百貨店建築として初の重要文化財とされる日本橋高島屋を取り囲むように、大きな商業ビルがほぼ完成間近。今年2018年9月には、日本橋高島屋S.C.(ショッピングセンター)として、開業予定。次の山王祭(2020年)の際には、下町連合渡御とともに、今回を超える大きな賑わいをみせるのだろうなと、とても楽しみです。

江戸時代の天下祭(山王祭と神田祭)と江戸の町の繁栄

山王祭は、日本三大祭の一つとされており、また神田祭とともに、江戸幕府が資金を提供し、また江戸城の時の将軍にお目見えできるため「天下祭」と称された、江戸の夏の大イベント。一説には、江戸幕府が天下祭の盛大さを誇ることは、諸大名達たちへの牽制の意味もあったという。また先日見た『NHKスペシャル シリーズ 「大江戸」4月29日(日)第1集「世界最大!!サムライが築いた“水の都”」』曰く、当時の江戸の町は、パリやロンドンをしのぐ世界最大規模の100万都市として大いに賑わっていたとのこと。

その成長と繁栄の秘訣は、当時としては世界的に画期的であった石垣を駆使して町中に張り巡らせた物流を支える水路。多くの諸大名達が、各藩の威信にかけて築き上げ、今でもお濠の石垣には各藩の家紋が残されているとのこと。265年も続いた全国を束ねる江戸幕府の牽制・統治の仕組み、一方で町人・商人文化の自律的な繁栄に向けた支援策等、先人の知恵が今でもあらゆる場面で、息づいている東京。

ゆっくりと目の前を通りすぎる山王祭の特別な景観をながめながら、400年もの間、様々なことがありながらも、多くの先人たちが苦労を重ねつつも紡いできた祭事の歴史。これらを土台として今の東京の繁栄があるのだというということ改めて思いおこさせ、先人たちへの感謝の念とともに、私も次世代へと紡いでいかねばとの想いが交錯しました。ますますの江戸(東京)の繁栄に向け、微力ながらも後押しすべく日々精進して参りたいと、改めて思い日枝神社に参拝に行きました。よい週末でした。

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