上野、寛永寺

先日、上野の寛永寺を訪問してきました。桜の名所として有名な上野公園からほど近くにあります。今回初めて訪れてみたのですが想像以上に周りの喧騒から一線を画す、静かな佇まいでした。

天台宗関東総本山で、創立は徳川家光によります。西の比叡山とともに近世には強大な権勢を誇っていましたが、上野戦争(彰義隊の戦い)で多くを焼失しました。彰義隊は、幕末に、徳川慶喜の警護の目的で結成された部隊です。

鳥羽伏見の戦いの後、徳川慶喜は江戸城、その後、上野寛永寺へと蟄居。その後、江戸城が無血開城し、水戸へ移った後も、彰義隊は寛永寺を拠点に江戸に残り続けます。藩体制が崩壊し、行き場を無くした武士、浪士が彰義隊に加わり、不満を募らせ、新政府との協調路線は続かず、1868年7月に新政府軍と彰義隊との一戦が起こり、その戦闘後も200名以上の彰義隊の残党は寛永寺に立てこもったと言われています。

彰義隊の中には、10代、20代前半の多くの若者が含まれていたようです。諸説によれば、彼らの行動は真剣に日本の未来を憂いていた結果。会津の白虎隊とともに、若者が自分の命を懸けて日本のあるべき姿を考えた時代として多くの映画や小説があります。当時の教育や環境が大いに影響を与えていたのでしょう。もし今のようにテクノロジーであらゆる情報が瞬時に入手できる時代であったなら、彼らの行動はまったく異なっていたかもしれませんね。当時の若者、大先輩達にも誇れる日本を次世代へと繋げていくお手伝いをささやかながらもしていきたいと改めて思いました。

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