米国進出セミナー(福岡商工会議所)に弊社代表が登壇

アメリカ進出(販売網の構築)

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販売網の構築スタート

1990年代の初めに、マサチューセッツ州のボストン郊外に販売子会社を設立し、一から販売代理店網の構築作業がスタートしました。最初にターゲット地域の設定を行いました、それは、ます第一の地域を東部、東南部、第二の地域を中西部、そして最後に西部地域と決め、1年で三地域を網羅するネットワークを作る目標立てました、同時に営業所を東南部のアトランタ、西部のサンフランシスコに作ることも決めました。

構築作業の作業の実施①

構築において、私が属していた業界の米国会社便覧を手に入れ、規模の小さい代理店、大手メーカーとの繋がりが薄いところ、客先の特化しているところ(例えば、食品業界に強い、自動車部品業界に強いなど)、若い会社(創業が古くない)等の条件を満たしている代理店候補のリストを作成し、東部における候補先の訪問のアポを取る為電話攻勢をしましたが、成功率は10件に1件が辛うじて会っていただける状況でした。訪問経路はマサチューセッツ州からフロリダ州の往復(約10日間)を繰り返し、その後は、マサチューセッツ州からシカゴの往復(約10日間)を繰り返して、何とか東部、東南部、中西部の代理店の設定が3か月後に何とか形が出来ましたが、その代理店が製品の購入を確約してくれたわけではなく、今後ビジネスの協議がしていけるレベルです。その後、マサチューセッツ州からシカゴ、フロリダ州という過酷な経路で代理店訪問(約2週間)を継続しました。

この時期において、自分一人では非常に効率が悪く、早くしかるべき東南部の営業スタッフ(営業所長候補)の雇用の必要性を感じていました。営業スタッフは競合他社からの雇用を迷いなく決めていました、それは、業界に明るく、機器の知識も有り、且つ それなりのカスタマーベースを持っているからです。運よく、アトランタ郊外をベースにしていた営業スタッフの雇用ができ、同時にアトランタに営業所を構え、彼を営業所長にし東南部、中西部(南部も含む)を任せました。そして 次の地域に重点先を移しました。代理店網構築作業を開始してから6カ月間が過ぎていました。

構築作業の作業の実施②

西部に関しては、上述の様に車で移動することができない距離感なので、まず、西部の営業スタッフ(営業所所長候補)の雇用を優先的に行うことを決めました。同様に競合他社から引き抜きが成功。同時にサンフランシスコの郊外に営業所を設け、当初の予定通り、1年間でアタランタ、サンフランシスコの営業所を設立し、各営業所に営業責任者を配置して、アメリカ全土を網羅した動きがようやくできる体制ができました。

所感

私が一から構築作業を行い、汗をかき努力した結果として、新しく雇用した営業責任者達は信頼してくれて、会社一丸となって、更なるネットワークの構築ができたと思います。若く、体力があり、失敗を糧にして進むことができたことも成功の要因であると思います。その経験は私の人生において最も貴重で大切なものです。最後にその当時のスタッフに改めて感謝をしたいです、本当に有難う。

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